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JINTANA PAN PACIFIC DAYS


(写真は、先月、サンフランシスコでKESと一緒に見た港の夕陽)

今のPPPの核となるメンバーとなる脳、空手サイコakaラテンクォーター、KESとあったのはきっと10年以上前に恵比寿にあったクラブのミルクでした。 当時10代のくせに異常に音楽に詳しく、それだけだといわゆる音楽マニアで普通なんだけど、なぜか志村けんなどテレビの話で盛り上がるという一方で超下世話な面もあり、すごく謎に思ったものでした。そののち、友人が江ノ島の海岸でやるパーティで同じパーティにでたら、その3人は真っ白いスーツに身を包んで、灼熱の真夏の太陽の下、ハードなテクノをやっていて、謎はさらに深まったものでした。 それから数年たち、脳、ラテンクォーター、JINTANAによるXX(チョメチョメ)というピローディスコバンドのギタリストというところからPPPに誘われて加入。僕は函館出身だから、ヨコハマじゃないけどって言ったら「同じ港だからいいよ。ペリーも来たじゃん。おっけ!!」というラフな誘われ方で入り、はや10年です。 その間、僕はKESくんと何故かプロントで朝まで飲むという活動を中心にしつつ(通称ユニット名、JINKES/ジンクス)、PPPみんなと楽しんできました。

中でもやはり、オッパーラの明け方の神々しさ、気持ちよさに、毎夏、毎冬、何度も救われました。まぶしい朝陽の中、ずっとこんな毎日が続けばいいのに、とテキーラでふんわいした意識の中思ったものでした。

そしてユニット、リキッドルームから、綱島温泉まで様々な場所で遊ばせてもらいました。

いろんな思い出は、すべてPPPのTシャツと一緒にタンスにしまわれています。もう着なくなった伸びきったTシャツも捨てられずにタンスの中にあって、そこについた酒の染みを見ていると楽しかったパーティの思い出や、そのときの人生で乗り越えたこと、そして乗り切る上でBGMとして鳴っていた音楽が聴こえてきます。

という月日があっという間にたち、もう10年というのは驚きです。その間、若手で加入したケントや脳らが始めたPaisley Parksが海外でも話題になったり、僕がJINTANA&EMERALDSを始めたり、KESはサンフランシスコへ旅立ったり、カシーフくんはあちこちからひっぱりだこなギタリストになったり、いま様々な活動に広がって、PPPもヨコハマの港から世界へ広がっていくようです。

先月、訳あってテキサスに行き、その帰り道にサンフランシスコの超激安ドミトリーでしばらく生活して、KESらと遊んでいたのですが、サンフランシスコの中華街で飲茶を一緒に食べたとき、すべてがシンクロしたような気がしました。

人は会うべくして会い、パーティに集まる人は、集まるべくして集まっていると思うと、そのDESTINYにいつも胸が溢れます。

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